2008年5月17日土曜日

抽象画の美 4

〔抽象画をどのように考えたらいいか〕 浜名湖の花博には印象派の巨匠モネが愛した魂のアトリエともいうべき「モネの庭」というコーナーが設けられた。印象派の作家たちは「自然は作者自身の感覚が現場でとらえたそのときの印象として描くべきだ」と考え、従来の絵画に比べると大胆でスピード感のあるタッチになった。

しかし、印象派が生まれた一八七〇年代の初めの頃には印象派の絵は画壇からも一般観衆からもさんざんな酷評をうけた。現在では高く評価されている印象派の画法も当時の画壇の最先端を行くものであっただけにこと画壇に限らず、風あたりも強かったのであろう。現状を変革しようとすると、必ず、それに反対し批判するものが出てくる。

印象派は今までの画法とそれほど違わないのに、ただ印象を重視する画法であるというだけで相当な抵抗をうけたのである。ま況して抽象画は、心に感ずるもの、四次元の世界という、今までと全く異なるものを表現しようとするのであるから、一般観衆に理解されにくいのは至極当然である。

 とは言え、物理学の四次元の世界についてはどのように説明されてもむずかしいが、抽象画を観るのは感覚の問題であるから、基本的なものをマスターしさえすれば観る者の意欲と素質次第で案外らくに入ってゆけるらしい。

 ある手引書には抽象画の理解の仕方についてあらまし次のように記している。一、抽象画が分かりにくい理由は、時代の最先端ともいうべき点にある。二、作者の動機や意図を知る方がいい。それが分からなくても、よく観ることによって、作品から何かを感じとり、鑑賞者自身が独自に分析し、解釈を試みることが必要である。作品の画題が絵を理解するヒントになる。三、抽象画について多少の知識を持ち合わせること。作品の解説を聞いたり、一般人向けの平易な評論やテレビの美術番組を見ること。四、現代社会では「労働と時間のかけ具合と価値は比例するものだ。遊び心で造ったものは価値がない」という感覚が主になっているが、抽象画の評価基準は、これとは全く別である。

 私は、抽象画を理解するにはこれらの努力の他にある程度の素質が必要ではないかと思う。

 ある日、Nさんとその絵画の師Sさんが拙宅を訪れたので、しばらく抽象画について雑談した。Sさんに前述した抽象画「白に白」の写真を見せると、「私は感じます」と言われた。なるほど流石はプロ、画家とはそういうものかと思った。念のためNさんの絵画について訊ねると、「これは抽象画ではありません。抽象画もどきの写実画です」とずばり言われた。Nさんも神妙に耳を傾けていたが、なるほどNさんが自らの作品を半具象画という理由が分かったような気がした。

「追記」Nさんが自画像をモチーフにしてデフォルメした五十号の作品は、画壇への登竜門である二〇〇五(平成十七)年秋の二科会の展覧会に、また、別の作品も平成十八年度静岡県芸術祭絵画の部に、それぞれ入選を果たした。                   

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