2008年5月11日日曜日

自転車泥棒 1

「先生、自転車を盗まれました。」棟続きの自宅で用事を済ませて事務所へ戻った私に、女子事務員から待っていましたとばかりに報告があった。

 九時半ごろ、事務所の前に置いてある自転車に誰かがさわっているのが入口のドアのガラス越しに見えた。何をするのかと不審に思っているうちに自転車に乗って走り出した。事務所から飛び出して声を掛けたが、聞こえぬふりしてスピードをあげて走り去った。

身長一・七メートルくらいの学生服を着た高校生風だった。すぐに駅前の交番に連絡して盗難届を出した、という。 自転車は十一年前に二万円ほどで買った赤色の軽快車で、フェンダーに私の住所氏名がマジックで書いてある。

償却済み同然の中古車だが、無ければ新しく買わなければならない。警察へ届け出ても盗難車を見つけ出すことは恐らくむずかしいであろう。忌々しいことだと舌打ちした。 

その晩の七時ごろ、三ツ合町の杉本さんという主婦から電話がかかってきた。杉本さん宅の近くにある駐車場の隅に私の自転車が横倒しになっていて、夜になってもそのままなので盗難車かと思い自宅に一時保管した上で、ご親切にも自転車に書いてある住所から私の電話番号を調べて電話してくれたのだった。

私は丁重に礼を述べ、明日受け取りに伺うことにした。そして駅前交番に盗難車が見つかったことを報告した。 

翌日は土曜日で事務所は休みであった。私は車に乗れないので自転車を受け取りに行くのを誰かに頼もうかと思案していたら、交番から電話があった。「今から自転車を引き取りに行ってきます」「自転車を取りに行くのは私の方で行きますから、いいですよ」「いいえ、指紋が採取できれば取りたいと思いますから、こちらで行きます。

そして、自転車はお宅へ届けます」 お巡りさんの親切な言葉に私は恐縮した。杉本さんと警察のご好意によって自転車は無事戻り一件落着したわけだが、私の心は何故か晴れ晴れしなかった。

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