2008年5月15日木曜日

抽象画の美 2

しかし私にとっては、なぜ白い壁を赤くしたのか、真っ直ぐな手すりを何故わざわざ曲げたのかが不可解なので、その点にひっかかって、残念ながらNさんの絵には美を感じたり感動をうけたりしなかった。そして、世の中にはこのような抽象画を観て美しいと思う人がかなりいることを不思議に思った。

 絵画は写実画でも写真のように実物と殆ど同じように描けばいいというのでなく、作者の表現したい点を強調して描くものだ。況んや抽象画は表現が元来抽象的なのであるから、作者の描こうとするイメージがはっきりしていて、鑑賞する人にそれがスムーズに伝わらなければならないのではないかと思う。鉄筋コンクリートの建築物といえば冷酷、無愛想、孤独、頑固などを連想させるが、いったいNさんは何を表現しようとしたのだろうか。

後日、その点をNさんに訊くと、「この作品は抽象画ではなく半具象画というべきもので、私の心のなかに生じたイメージをディフォルメして現代人の抱く不安感を描いたつもりですが、まだ未熟なのでー」と言われたが、抽象画ではなく、半具象画というジャンルがあることを私ははじめて知った。

 そもそも絵画は何のために描くのだろうか。絵画は彫刻、建築、工芸などと同様に美を視覚的に表す芸術の一つである。美といっても単なる視覚的な美だけでなく、人間を豊かにするもの、例えば静寂、平和、怒り、努力、希望、喜び、楽しさ、哀愁など、人間の心に訴え感動を与えるものすべて含むと思う。従って私は、写実画であろうと抽象画であろうと、人間の心に大きな感動を与えるものが良い絵画だと考えている。

 絵画の値段は号いくらという市場価値の基準があって、画商がそれなりに価格を決めて取引される。しかし、それはあくまでも市場における売買価格であり、本来その絵画の真の価値は、観る人が受ける感動の大きさによって決まるものだと思う。私はNさんの抽象画(Nさんによれば半具象画)に何らの感動も受けなかったが、勿論それは私個人の問題であって、この絵の正当な評価では決してない。

つづく

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