妻が認知症で浜松の施設に入ったため、月に一、二回面会に行き、昼食時に妻を連れ出して、食後、近くをドライブすることにしている。
去る五月、館山寺温泉のレストランで食事をすませてから、ふと、「みおつくしの碑」をもう一度見よう
と思い立ち、現地へ行ってうろ覚えで探してみたが見当たらなかった。その後も二回ほど探したが分からなかったので、細江町の教育委員会で訊いたところ、気賀駅の北の小高い丘の上にある細江公園の中に幾つかの文学碑を移し集めたことが分かった。
さっそく訪ねてみると、そこには与謝野晶子、佐藤春夫、佐々木信綱、山田無文の碑と並んで、かって私の見た「みおつくしの碑」があった。懐かしい知己にようやく会えたような気がして嬉しかった。丘の上の公園には落着いた雰囲気があったけれども、この碑はやはり、みおつくしの木製の模型が近くの水中に立っている浜名湖畔にある方が相応しいと思った。
みおつくしの碑を探したさい、乎那の峰も探したが、遺憾ながら地図には表記されていない。みおつくしの碑の探索でこ懲りているので、今度は初めから三ケ日町の教育委員会へ文書で問合わせたところ、乎那の峰は三ケ日町尾奈で、奥浜名湖駅の西南約三〇〇メートルのところにある高さ一〇〇メートルほどの小高い丘であることが判った。
丘の西側道路沿いの駐車場に車を停め、娘と長男、それに知人のK子さんとの四人でゆっくり丘を登った。細道の脇には万葉集に出てくる植物が植えてあり、その傍らに植物名と、まつわる万葉の歌を書いた木札が立ててある。
大伴家持のかたかご(カタクリの古名)の歌があり、金谷の牧ノ原公園の中にかたかごの群落があるのを思い出す。歌をひとつひとつ読んでいったらきりがないので先を急ごうとしたが、道に凹凸があり、苔が生えていて滑り易く、倒れた木が道をふさいでいたりして危険である。それに私は息が弾んできたので、娘と息子に頂上まで行って文学碑の写真を撮ってくるよう頼み、私とK子さんはそこで休んで待つことにした。
2008年7月6日
2008年6月22日
万葉の歌碑
昭和四十五(一九七〇)年ごろ、内藤き亀ぶん文先生のきもい肝煎りで「大井川民俗の会」がつくられた。大井川流域をはじめ県内外の民俗行事、習慣などや歴史、文学等について、内藤先生から教えを受けながら現地を探訪する会である。私は郷土の歴史や民俗に強い関心をもっているので積極的に参加した。
マイクロバスで静岡県西部の浜名湖から豊橋あたりまで行くことがよくあったが、浜名湖畔にある二つの万葉の歌碑が深く印象に残っている。 一つは、浜松市細江町の浜名湖の入江にある「みおつくしの碑」である。訪れた昭和五十年ごろ、西気賀の湖畔沿い道路の南側に三百平方メートル程の空地があって、歌碑はその南寄りにあった。
遠江 引佐細江の澪標 吾を頼めて あさましものを
(万葉集巻十四。三四二九 遠江国の歌)
内藤先生のご説明によると、 ――みおつくしとは、通航する船に通りやすい深い水脈を知らせるために立てられた杭で、ここを通れば安全という水路標識。歌は『浜名湖の引佐細江の水路標識のように、私をあてにさせておいて、あなたは心変わりをした。いっそのこと私を放って置いてくれればよかったのに』という意味とのこと。しかし、これは女の立場から見た解釈で、別に男の立場から見た『私を頼りにしなさいと言ったのに、あなたは私をあなど侮って頼らなかったので、そうなったのですよ』という解釈もあるという。
後日私なりに調べてみると、「あさましものを」の解釈には諸説あるらしい。しかし、なぜ解釈が分かれるような歌を作ったのであろうか。おそらく、心のはたらきは微妙で、男心と女心のどちらが先に秋風が吹き始めたか決め兼ねるので、作者は意識的にどちらにもとれるように表現したのではないかと思われる。
もう一つは、三ケ日町奥浜名湖駅の西方の小高い丘の上にある作者不明の歌碑である。たまたまその近くに行った折に、内藤先生から「ここには万葉博士といわれたいぬかいたかし犬養孝・大阪大学教授の筆になる歌碑がある」との話があり、歌詞も説明してくださった。
花散らふ この向つ嶺の乎那の嶺の洲につくまで 君が齢もがも
(万葉集巻十四。三四四八 遠江国の歌)
『花が散るこの向かいの乎那の峰が風化して低くなり、海の洲に漬かるほどになるまで長く、ずっとあなたは生き長らえて欲しい』
この歌のいかにも率直な表現が私は好きである。内藤先生もいい歌だと言っておられた。それに、この丘には万葉集の歌の中に出てくる植物を集めた植物園があるとの由。植物は内藤先生の最も得意とする専門分野であるから、それぞれの万葉の植物にまつわる歌の意味をじっくりお聞きしたいと私は思っていたし、また先生にもそのお気持ちがあったと思われる。花が散る乎那の峰というからには、万葉の時代にはこの丘に山桜が沢山あって花の名所だったのかもしれないと私は想像し、いつの日か内藤先生と一緒にこの丘を訪れたいものだと願っているうちに先生は亡くなられてしまった。
マイクロバスを利用すれば一時間足らずでゆっくり散策でき、頂上からの眺めもよさそうなのに、何故あの折、先生はこの丘に登ろうとしなかったのだろう、というわだかまりが私の心の中にずっと残っていた。
マイクロバスで静岡県西部の浜名湖から豊橋あたりまで行くことがよくあったが、浜名湖畔にある二つの万葉の歌碑が深く印象に残っている。 一つは、浜松市細江町の浜名湖の入江にある「みおつくしの碑」である。訪れた昭和五十年ごろ、西気賀の湖畔沿い道路の南側に三百平方メートル程の空地があって、歌碑はその南寄りにあった。
遠江 引佐細江の澪標 吾を頼めて あさましものを
(万葉集巻十四。三四二九 遠江国の歌)
内藤先生のご説明によると、 ――みおつくしとは、通航する船に通りやすい深い水脈を知らせるために立てられた杭で、ここを通れば安全という水路標識。歌は『浜名湖の引佐細江の水路標識のように、私をあてにさせておいて、あなたは心変わりをした。いっそのこと私を放って置いてくれればよかったのに』という意味とのこと。しかし、これは女の立場から見た解釈で、別に男の立場から見た『私を頼りにしなさいと言ったのに、あなたは私をあなど侮って頼らなかったので、そうなったのですよ』という解釈もあるという。
後日私なりに調べてみると、「あさましものを」の解釈には諸説あるらしい。しかし、なぜ解釈が分かれるような歌を作ったのであろうか。おそらく、心のはたらきは微妙で、男心と女心のどちらが先に秋風が吹き始めたか決め兼ねるので、作者は意識的にどちらにもとれるように表現したのではないかと思われる。
もう一つは、三ケ日町奥浜名湖駅の西方の小高い丘の上にある作者不明の歌碑である。たまたまその近くに行った折に、内藤先生から「ここには万葉博士といわれたいぬかいたかし犬養孝・大阪大学教授の筆になる歌碑がある」との話があり、歌詞も説明してくださった。
花散らふ この向つ嶺の乎那の嶺の洲につくまで 君が齢もがも
(万葉集巻十四。三四四八 遠江国の歌)
『花が散るこの向かいの乎那の峰が風化して低くなり、海の洲に漬かるほどになるまで長く、ずっとあなたは生き長らえて欲しい』
この歌のいかにも率直な表現が私は好きである。内藤先生もいい歌だと言っておられた。それに、この丘には万葉集の歌の中に出てくる植物を集めた植物園があるとの由。植物は内藤先生の最も得意とする専門分野であるから、それぞれの万葉の植物にまつわる歌の意味をじっくりお聞きしたいと私は思っていたし、また先生にもそのお気持ちがあったと思われる。花が散る乎那の峰というからには、万葉の時代にはこの丘に山桜が沢山あって花の名所だったのかもしれないと私は想像し、いつの日か内藤先生と一緒にこの丘を訪れたいものだと願っているうちに先生は亡くなられてしまった。
マイクロバスを利用すれば一時間足らずでゆっくり散策でき、頂上からの眺めもよさそうなのに、何故あの折、先生はこの丘に登ろうとしなかったのだろう、というわだかまりが私の心の中にずっと残っていた。
2008年6月15日
庭木の土 8
九月二十一日の九時過ぎ、Kさんと一緒に再びくだん件の植栽状況を見に行った。前回から二か月近く経っている。
先ず中電のほうを見ると、四本のハナミズキには葉が殆どなく、残りの四本も葉がまばらであった。Kさんは「これはアメリカシロヒトリの害よりも水不足が大きな原因です。植栽土でないため保水性が少なく、雨が降ってもすぐ乾いてしまいます。もうだめですね。枯れるのを止めることはできません」と断定した。
続いて西隣の総合庁舎の植木を見ると土が湿っていたので、これはY管理課長が撒水したのだろう、と思った。Kさんは入口近くの庭を見て、「奥のほうはドウダンです。新芽があれだけ伸びているところをみると、来年はいちだんと大きくなって風通しが悪くなり、蒸れて虫がついて大部分が枯れる心配があります。今年あたり間引きしないと手遅れになります。」と指摘された。
早速その日の午後、ハローワークへ行ってY課長に会い、「今年の夏は暑かったですね」と言うと、矢張り「私が毎日水をかけました」という言葉が返ってきた。私は「予算が付き、土が追加して入れられ、間引きが行われるまで油断しないようにがんばってください」と彼女を励ました。
それから四日後の二十五日午後、中電の副長Mさんに会うと、彼は「益田さんのおっしゃることは十分承知しております。ただ、今年は予算がないので来年の予算に必ず入れてやります」と先手を打つように言った。
今の中電としてはその程度のことしか手が打てないのであろう。しかし、このままでいけば枯れたハナミズキやバラが、来年の初夏まで、玄関前のいちばん目立つところに打ち萎れていることになる。
Mさんや所長は自宅の玄関前の木が枯れたとき、予算がないからと言って放置しておくだろうか。おそらくそのようなみっともないことはせず、ある程度の費用がかかっても善処するに違いない。それはともあれ、枯木に対する対策を具体的に提案する人がひとりも居ず、私に指摘されて初めて重い腰を上げるとは、この会社の管理体制はいったいぜんたいどうなっているのであろうか。
たぶん、中電という大企業は社長から平社員まで「会社は自分の家と違う。余分なことはせず言われた事だけをやって給料をもらえばいい」とでも考えているのだろう。そういえば営業所で働く社員たちには志気というものがまるで感じられなかった。これではいくら「原発は安全です」と言われても、私にはとても信じられない。
アメリカとソ連では原発事故が起きて大きな被害が生じた。日本の原発も浜岡を含めて時どき事故が発生している。このような状態では、私たちは枕を高くして寝ることができない。
腹の立つことの多い昨今だが、いずれにしても私のささやかな提案によって、島田労働総合庁舎と中電島田営業所の植木対策が一歩前進するのではないかと思う。その点から言えば私の取るに足らぬ努力も若干の効果をあげたように思われる。そして、これによって最も喜ぶのは、近くを散歩する私たちよりも、寧ろ、安住の地を得る可能性の生じた庭木たちであろう。
先ず中電のほうを見ると、四本のハナミズキには葉が殆どなく、残りの四本も葉がまばらであった。Kさんは「これはアメリカシロヒトリの害よりも水不足が大きな原因です。植栽土でないため保水性が少なく、雨が降ってもすぐ乾いてしまいます。もうだめですね。枯れるのを止めることはできません」と断定した。
続いて西隣の総合庁舎の植木を見ると土が湿っていたので、これはY管理課長が撒水したのだろう、と思った。Kさんは入口近くの庭を見て、「奥のほうはドウダンです。新芽があれだけ伸びているところをみると、来年はいちだんと大きくなって風通しが悪くなり、蒸れて虫がついて大部分が枯れる心配があります。今年あたり間引きしないと手遅れになります。」と指摘された。
早速その日の午後、ハローワークへ行ってY課長に会い、「今年の夏は暑かったですね」と言うと、矢張り「私が毎日水をかけました」という言葉が返ってきた。私は「予算が付き、土が追加して入れられ、間引きが行われるまで油断しないようにがんばってください」と彼女を励ました。
それから四日後の二十五日午後、中電の副長Mさんに会うと、彼は「益田さんのおっしゃることは十分承知しております。ただ、今年は予算がないので来年の予算に必ず入れてやります」と先手を打つように言った。
今の中電としてはその程度のことしか手が打てないのであろう。しかし、このままでいけば枯れたハナミズキやバラが、来年の初夏まで、玄関前のいちばん目立つところに打ち萎れていることになる。
Mさんや所長は自宅の玄関前の木が枯れたとき、予算がないからと言って放置しておくだろうか。おそらくそのようなみっともないことはせず、ある程度の費用がかかっても善処するに違いない。それはともあれ、枯木に対する対策を具体的に提案する人がひとりも居ず、私に指摘されて初めて重い腰を上げるとは、この会社の管理体制はいったいぜんたいどうなっているのであろうか。
たぶん、中電という大企業は社長から平社員まで「会社は自分の家と違う。余分なことはせず言われた事だけをやって給料をもらえばいい」とでも考えているのだろう。そういえば営業所で働く社員たちには志気というものがまるで感じられなかった。これではいくら「原発は安全です」と言われても、私にはとても信じられない。
アメリカとソ連では原発事故が起きて大きな被害が生じた。日本の原発も浜岡を含めて時どき事故が発生している。このような状態では、私たちは枕を高くして寝ることができない。
腹の立つことの多い昨今だが、いずれにしても私のささやかな提案によって、島田労働総合庁舎と中電島田営業所の植木対策が一歩前進するのではないかと思う。その点から言えば私の取るに足らぬ努力も若干の効果をあげたように思われる。そして、これによって最も喜ぶのは、近くを散歩する私たちよりも、寧ろ、安住の地を得る可能性の生じた庭木たちであろう。
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