2008年5月16日金曜日

抽象画の美 3

〔人間は何故抽象画を描くようになったか。〕 眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)に感ずるものを五官といい、五感のほかにあるとされる感覚で鋭く物事の本質をつかむ心のはたらきを第六感という。人間は太古から五官の中の眼によって存在を確認したもの―風景、人物、動物など―を描いてきたが、一九世紀の終わり頃から一部の画家は第六感の心に映じた喜怒哀楽のイメージをも描くようになった。しかし心に感ずるイメージには形がないから、必然的に抽象的な表現にならざるをえない。人間は本来、未知なもの、新しいものに挑戦しようとする意欲を持っているので、抽象画が発生したことは自然の流れであると思う。これが抽象画を描くようになった第一の原因であろう。

 次に第二の原因は、人間が四次元の世界を絵に表現しようとしたからではないだろうか。一九〇五年、アインシュタインは相対性理論を首唱した。四次元の世界とは、われわれの認識する空間のように、連続体の広がりの次元が三つあるとする理論に、時間の一次元を加えた時空間をさす。相対性理論によれば、物理法則は四次元空間の中で記述されなければならない、とする。これによって物理学は飛躍的に進歩した。私は、抽象画は絵画の世界に於ける三次元から四次元への変化であると考える。

即ち写実画は三次元の世界を描き、抽象画は四次元の世界を描くものと言えよう。三次元は、私たちが日常現実に目で見ている世界である。これは静止しているから誰にも容易に描ける。ところが四次元の世界ではこれに時間が加わり、時間の経過によって状況が変化するから、その変化する状況を静止した形の画面に表現することはむずかしい。例えば、鳥が飛んでいるところを描く場合、周囲の風景が固定している絵の中に飛翔の位置が時々刻々変化する鳥を幾つも描かなければならなくなる。それでは絵にならないから全く異なった表現になる。飛躍していえば、このように鳥の飛んでゆく姿をイメージとして絵に表現したいと考えたことが、抽象画のそもそもの誕生原因ではないのだろうか。

 動いている状態を総体的に捉えた画家の心に浮かぶ映像を描くこと―。それは、大都会の騒音に満ちた迷路、生物の胎内的な世界、おびただしい星座の移動、季節の実りと枯渇、ハイウェイでの疾走、太陽に光る潮、芳香、等などであるかもしれない。何れにしてもそれらは動いているものであるから、三次元時代とは全く異なる感覚で表現しなければならないわけである。

  しかも、その抽象画の表現方法には具象的なものによる方法と具象的なものを使わない方法の二つがあるといわれる。一九三七年四月二十六日、スペインの内戦に際して反乱軍を支援したナチス・ドイツ空軍が、スペイン北部の小さな町ゲルニカを無差別爆撃し多くの市民が犠牲になった。その蛮行に憤り、抗議するため、ピカソ(一八八二~一九七三)は二十世紀最高の傑作といわれる「ゲルニカ」を描き、同年のパリ万博スペイン館に出品、絶賛を博した。叫ぶ女や母子、牛・馬などが縦三・四五メートル、横七・七六メートルのモノトーンの大画面にひしめく大作で、現在はマドリッドのソフィア王妃芸術センターに常設展示されている。

角の生えた顔や化け物のような手をした不気味な人間など百鬼やぎょう夜行を思わせる超現実的な抽象画で一寸とっつきにくいが、、よく鑑賞すれば絵心のない人でも、市民の怒りをひしひしと感じ、なお大量虐殺を続ける人類の暗部を映す鏡のように見える、という。私の知人のM君は、地雷によって片足を無くした少年を描いて戦争の悲惨さを訴える反戦思想を表現した。抽象画でもこのように具象的なものが描かれていれば、作者の表現しようとする意図を私のような素人でもイメージし易い。

しかしすべてを抽象的な表現によって描かれた抽象画は、観る者が作者と同じ第六感を持たなければ、たとえ画題が明記されていても、何が表現されているのか見当もつかない。例えばロシア人カジミール・マレーヴィチは一九一八年に「白に白」という抽象画を描いたが、それは白い下地の画面にほんの少し色の濃い白い四角な形が描いてあるものである。フランス人の画家アルフォンス・アレーは一八八三年に真っ白な紙を、「雪の中で初めて聖体を拝領する貧血の少女」と題して、パリーの展覧会に出品した。それから一年後、今度は真っ赤な紙を展示して、「紅海沿岸でトマトを収獲する高血圧で赤ら顔のすうき枢機きょう卿」と名付けた。このような抽象画を観た時、たいがいの人には画題名を読んでも、これが何を表現しようとしているのか分かりにくいし、また何の感動も湧かないであろう。

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