2008年5月5日月曜日

春風 2

 こんなことがあってから、小川さんとは時どき話し合った。と言っても、私は終日ベッドに寝ているので、話す機会は彼女が当番で私の所へ回ってくる時しかなかった。それでも、看護師の仕事の話、病院の設備や薬の話など話題が際限なく広がって楽しかった。当番になったとき彼女は、夜番でも昼番でも「今晩は(今日は)私が当番になりました」と言って、私に必ず笑顔を見せてくれた。

 或る日、偶然廊下ですれ違ったとき、小川さんが満面に笑みを浮かべて「益田さん、こんにちは」と声をかけてくれた。私は嬉しかった。また夜、廊下ですれ違ったとき「益田さん、ご飯は全部食べられましたか」と親身になって訊いてくれた。

 仏教に『顔施』という言葉がある。これは十の施しの中の一つで、〈笑顔で人に接し、喜びを与える〉ということであるが、私はこの顔施を受けているような気がした。

 シャワー入浴で、小川さんに背中を流して貰った時は、最高の気分であった。そのとき少し時間があったので、いい顔と美しい顔の違いについて改めて話した。

「女優は概ね美しい顔をしていますが、全員がいい顔にはなりません。自分の立場を十分に理解し、心からその役になりきって演ずるとき、名演技となり、観客はいい顔だと感じます。映画『鉄道員』を企画したとき、この役にはこの人しかいない、と請われて主人公を演じた高倉健が、見事にその役を演じて喝采を博しました。私もあの映画を見て、北国の小さな駅の駅長を演ずる高倉健の哀愁に滲む顔を見たとき、ああいい顔だなあ、と思いました」

 小川さんは、私にシャワーをかけながら聞いている。「あの晩、あなたは私の所へ来たとき、この患者は何か難しいことを訊きそうだが、森田さんは居ないし困った、と思ったでしょう」「はい」「ここは自分が頑張って、出来るだけのことをしなければならないと思って、あなたは開き直ったような気持ちで、私の方をしっかり見詰めました。その真剣な面差しを見て、私はいい顔だと感じたわけです」 シャワー入浴の時間があっという間に過ぎてしまった。

 退院が近づいた或る日、私は私の随筆集に署名して小川さんに贈った。「お忙しいでしょうが、せめて最初の『しぐれ』だけでも読んで下さい」「いいえ。益田さんが書かれたものなら、全部読ませて頂きます」「じゃあ、これでさよならですね」 と言って、私は彼女の手をそっと握った。その手は小さく、そして温かかった。

 三月の末に近いころ、私は退院した。それから半年余りの月日が流れたが、小川さんの噂は風の便りにも聞かない。

 私は七十六歳。あれは私の老いた顔を優しく撫でて過ぎた春の風だったのかもしれない。

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