2008年5月7日水曜日

かわいい女2

 私はある時、女友達にこんな質問をした。

「かわいい女というと、あなたはどんな女を連想する?」

 彼女は少し小首をかしげから応えた。

「それは馬鹿な女ね」

「うん、いい線いってる」

「えーと、それから馬鹿なだけでなく、ちょっぴり賢くないと駄目ね」

 こんなところがかわいい女の横顔であろうか。

 男は概して自分の女房に対して優越感を持ちたいと思うものであるが、そのためには自分より能力の低い女と結婚すればよい。しかし、男は一方ではなるべく頭のいい吾が子を欲しいと願うから、そのためには賢い女と結婚するほうが望ましい。かくして男はかわいい女か賢い女かの選択に迷うのである。

 私の知っている若者が最近結婚した。高校時代から付き合っている女性がおり、気立てがよく非常にしっかりしていて、親も承知していたので、当然その女性と結婚するだろうと私は予想していたが、結局は三つ年下の平凡な女性と結婚した。彼はいろいろ迷ったあげく、賢い女よりかわいい女を選んだのであろうか。

 望月さんの次に立った新郎の友人の祝辞が長く続くのを聞きながしながら、私は考えた。このごろの演歌調の歌謡曲は、ヤングものから中年向きのものまで「あなたの望む事なら私は何でもする。あなたが欲しいなら私のすべてをあげる。その代わり私をかわいがってちょうだい」といったような内容の歌詞である。自己を主張せず常に無条件服従のかわいい女がなぜ男にも女にも望まれるのであろうか。男にとっては、女をリードする見識を高める勉強をしなくてもすむからであろうか。

 しかし、人生は安易でない道を努力して向上するところに深い喜びがあり、また、夫に対して遠慮せずに自分の考えを伝えることができる状態になってこそ、女にとっても本当の悦びや生甲斐があるのではないだろうか。

 私は数日前に市民会館で観た演劇、滝沢修主演の「セールスマンの死」を思い出した。あんなに理解深く優しそうに見える妻なのに、どうして彼は自殺する前に打ち明ける事が出来なかったのだろう。男にとって自分のセールス能力の低下を妻に話すのは、死ぬよりつらい事なのであろうか。

あの老セールスマンは死ぬ時、自分の能力をありのままに優しく認め、温かく励ましてくれる妻を望んだのではあるまいか。或いは、彼は生きる事に疲れ厭世感を抱いて死を選んだのだろうか。それにしても、こんな事を考えるのは私も歳をとったせいかもしれない。

「次は、益田さんにお願いします」という司会者の声に、私は我にかえって立ち上がった。高砂や、この浦舟に帆をあげて、月もろともに出で潮の・・・

 私は姪の新婦の好子に対して、「男がいつまでも一緒にいたいと思う女、長く暮らしても飽きのこない本当のかわいい女になるように」という想いをこめて、朗々と謡いあげた。

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