2008年4月29日火曜日

すんぷ夢ひろば4

 和服の女性といえば、私には忘れ難い思い出がある。三十年ほど前、熱海のMOA美術館に行ったところ、「ほととぎすの声を聞きて」という題名の日本画があった。

 和服姿の女性がちょっと後ろを振り向き加減に空を見上げ、その視線の先、左上の空に有明の月が描いてあり、その女性の愁いを帯びた風情が私の印象に深く残った。百人一首のなかに「ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる」という歌があるが、この絵は恐らくその歌の具象画であろう。初夏の朝まだき、ただ単にほととぎすの鳴き声を聞いたというだけではなく、恋しい男とひと夜を共に過ごした女が、帰ってゆく男を見送って後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しんでいるところを描いたものだと想った。

 そう思って見ると、血を吐くように鋭く啼くほととぎすの声と有明の月が、未練がましい女性の風情にぴたりと合うような気がしたものである。後日調べてみると、この和歌の作者は女性ではなくごとく後徳だいじの大寺さだいじん左大臣だったので少しくがっかりしたが、ならば、この絵は左大臣を見送っている女性であろうと勝手に解釈した。

 このような強い思い込みがあったので、私は紙切りの芸人に『後朝の別れを惜しむ女』をリクエストしようと決めた。「いや、待てよ。あの芸人に後朝の別れの意味が分かるだろうか。もし分からなければ説明すればよい」と思っていると芸人が顔を上げた。

 私がさっと手を上げると、「今日はこの辺でおしまいにさせて頂きます」と無情にも告げた。時計を見ると、紙切りの芸が始まってから丁度二十分経っていた。ちょっぴり口惜しい思いをしたが、場内が明るくなってから、よくよく考えてみると、私は、リクエストをしない方がよかったと悟った。

つづく

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