2008年7月6日日曜日

万葉の歌碑 2

 妻が認知症で浜松の施設に入ったため、月に一、二回面会に行き、昼食時に妻を連れ出して、食後、近くをドライブすることにしている。

 去る五月、館山寺温泉のレストランで食事をすませてから、ふと、「みおつくしの碑」をもう一度見よう
と思い立ち、現地へ行ってうろ覚えで探してみたが見当たらなかった。その後も二回ほど探したが分からなかったので、細江町の教育委員会で訊いたところ、気賀駅の北の小高い丘の上にある細江公園の中に幾つかの文学碑を移し集めたことが分かった。

さっそく訪ねてみると、そこには与謝野晶子、佐藤春夫、佐々木信綱、山田無文の碑と並んで、かって私の見た「みおつくしの碑」があった。懐かしい知己にようやく会えたような気がして嬉しかった。丘の上の公園には落着いた雰囲気があったけれども、この碑はやはり、みおつくしの木製の模型が近くの水中に立っている浜名湖畔にある方が相応しいと思った。

 みおつくしの碑を探したさい、乎那の峰も探したが、遺憾ながら地図には表記されていない。みおつくしの碑の探索でこ懲りているので、今度は初めから三ケ日町の教育委員会へ文書で問合わせたところ、乎那の峰は三ケ日町尾奈で、奥浜名湖駅の西南約三〇〇メートルのところにある高さ一〇〇メートルほどの小高い丘であることが判った。

 丘の西側道路沿いの駐車場に車を停め、娘と長男、それに知人のK子さんとの四人でゆっくり丘を登った。細道の脇には万葉集に出てくる植物が植えてあり、その傍らに植物名と、まつわる万葉の歌を書いた木札が立ててある。

大伴家持のかたかご(カタクリの古名)の歌があり、金谷の牧ノ原公園の中にかたかごの群落があるのを思い出す。歌をひとつひとつ読んでいったらきりがないので先を急ごうとしたが、道に凹凸があり、苔が生えていて滑り易く、倒れた木が道をふさいでいたりして危険である。それに私は息が弾んできたので、娘と息子に頂上まで行って文学碑の写真を撮ってくるよう頼み、私とK子さんはそこで休んで待つことにした。