2011年11月25日金曜日

私の死生観

 私は大正十三年十二月二十五日に生まれたが、戸籍上は翌十四年の一月一日生まれである。親が七日遅らせて村役場に出生届を出したからだ。従って、今年の正月元旦で満八十三歳を迎えた。

 誕生日が元旦なので、かって「明けましておめでとう」と言われることはあっても、「誕生日おめでとう」と言われたためしがなかった。ところが、今年は元旦の夜、家族との会食が済んだのち娘夫婦から「誕生日おめでとう」と祝福されて、血圧計をプレゼントされた。市役所にあるのと同じ二の腕で測るオムロン社製の立派な血圧計である。手先の方で測る器具は不正確であり、かと言って市役所へたびたび行って測るのはおっくう億劫だ。このごろ私は血圧が上がり、これからの健康維持には油断なく血圧に注意する必要があり、血圧計が家にあればいいと思っていたところだったので、まことじぎ時宣にかなった贈り物に私は娘夫婦に心底から礼を言った。
こ来し方をふり返ってみると、よくぞここまで生きてきたとしみじみ思う。

幼少年の頃はすこぶる健康であった。身体が小さいのでかくとうぎ格闘技は不得手だったが、持久力を要する競技には強かった。島商時代、全校約五百人のマラソン競走で三十番になった。運動会ではさかだ逆立ち競争の固定(長い間立っている)と移動(長い距離を歩く)で一等賞をもらった。横浜高等商業(現横浜国立大経済学部)に入り、三年生の時テニス部のキャプテンになった。対外試合に勝つために猛練習をしたため、試合には勝ったが、戦時中の食糧不足と過労により肺結核に罹った。二年近くの闘病生活の末にようやく快復したが、それ以来、こと健康に関しては自信を喪失した。六十ぐらいまで生きれば上々とさえ思っていた。

 昭和三十一年に肺結核が再発、左肺の上半分を切除した。その手術時に、アメリカから輸入された売血の中にC型肝炎のウィルスが入っていたため感染。そのウィルスが二十年の潜伏期間を経て、昭和五十年頃から活動し始め、それからは常にC型肝炎に悩まされることになった。私と同じころ同じ病院で肺結核の手術をした人の大半はC型肝炎から肝臓ガンとなり死亡した。私は医者から特効薬といわれたインターフェロンの使用を奨められたが副作用があるので使わず、健康器具のコウケントーと調和道丹田式呼吸法で危機を切り抜けてきた。しかし、加齢により体力が衰えてきたためか、七十六才の時、肺炎にかかり、更に八十歳になって肺炎が再発した。

 現在、日本の男の平均寿命は七十六歳である。小学校から大学までの私の同級生の生存率はおおよそ四〇%である。夏目漱石の『硝子戸の中』に、「多病な私が何故生き残っているのだろうか疑ってみる。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う」という死生に関するくだり件があるが、私の余生もいよいよ残り少なくなってきたので、死について自分の考えをまとめてみようと思う。


「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」というしんげん箴言があるが、人間は誰しもが長
生きしたいと願っている。しかし、人間に限らず、生命のあるものは必ず死ぬ時が来る。生命は永遠のものではない。そして、死ぬまでにその種を絶やさぬよう子孫をこの世に残す。このことは誰もが承知しているわけだが、自分だけはもっと長生きできないかと考える。しん秦の始皇帝はじょふく徐福に不老長寿の薬を探すことを命じたが、現代人でも長寿の薬となると血眼になって求める。

 人間の寿命は昔と較べると随分長くなった。平安時代の平均寿命は三十歳ぐらい位という。昔は乳幼児の死亡が多く、成人しても食糧不足、戦乱、流行病、風水害などで早死にした。江戸時代でも四十歳位といわれる。それが今では経済的に豊かになり、医学が進み、八十歳を超すようになった。ライオンの寿命は自然界では十年だが動物園では三十年、象は自然界では二十年だが動物園では五十年生きるという。つまり、人間は動物園で過保護に飼育されているようなものである。釈迦はきのこ茸の食あたりで八十歳で亡くなったといわれるが、現代人は八十歳になってもなおもっと生きたいと願う。かく言う私もその一人である。


 人間が長生きを願う理由は幾つかある。
①現在の生活が楽しいから、この状態をもっと続けたい。
 戦後の高度経済成長により、旅行、グルメ、スポーツ、趣味など楽しいことが前よりもずっと多くなった。死んだらこの楽しさは味わえないからと、長生きの欲望が今までより増幅した。

②死に対する精神的不安をなくしたい。

 この点についてキリスト教は「アダムとイヴが禁断の木の実を食べたことにより人間は罪を犯すようになったが、キリストがすべての人間の罪を背負って十字架で処刑されたため、人間の罪は消え、死後、すべての人の魂は天国へ行ける」と説く。クリスチャンはそれを信じているから死に対する精神的不安は何もないという。江戸時代の島原の乱で原城にたてこもったキリスト教徒が強かったのは、死を怖れなかったためだといわれる。ちなみにキリストは、ユダに密告されて捕えられ、ゴルゴダの丘の上で十字架に架けられ死んだのは三十二歳だったという。

また、キリスト教と同根のイスラム教にも同じ思想があるから、今でも平然と自爆攻撃を行っている。序でながら、四十歳でアッラーの神の最初の啓示に接したといわれるマホメット(ムハンマッド)は、以後片手にコーラン、片手に剣を振りかざしてイスラム教を流布し、アラビア半島を初めて統一し、メッカへの最後の巡礼を終えてからサウジアラビアのメディナの回教寺院で病床につき、六十一歳で息絶えたという。イスラム教徒の過激さの一因が窺われる話だ。しかし日本人にはそのような思想はない。多くの日本人は江戸時代初期にできた檀家制度により仏教に馴染み、かんぜん勧善ちょうあく懲悪の思想を漠然と持っている。誰でも多少は後ろめたい行為をするであろうから、あの世で極楽へ行けないかもしれない、と心配する人も年配の人にはいるかもしれない。

③死に直面した時の精神的苦痛をなくしたい。

 死刑が宣告された時、重大な事故が発生し一定時間経過後に死ぬことが判った時、不治の病となり一定日時後に死ぬことを告げられた時、これらの場合のように生きたいという自分の意志に反して死ななければならなくなった時、人間は精神的苦しみを感ずる。これに対して、四十七人の赤穂浪士のように切腹覚悟の場合は、討入りしてから切腹するまでの間に精神的苦痛よりも目的を達成した満足感の方が大きかったであろう。武田信玄がきえ帰依しけい恵りんじ林寺の住持となったかい快せん川じょう紹き喜は、織田信長が勝頼を攻めた時、一山の僧と共に寺の山門内に立てこもり焼死した。その時、快川和尚の作ったげ偈「あんぜん安禅必ずしも山水を用いず、しんとう心頭めっきゃく滅却すればひ火おの自ずから涼し」は有名である。猛火に包まれた快川は肉体的には大きな苦痛を受けても、自分の意志を貫く満足感により心の中には涼風が吹いていたに相違ない。この二つの場合は自ら覚悟しての死であるから精神的苦痛は少なかったと思う。けれども、北大西洋でタイタニック号が氷山と衝突して沈没する時、女性や子供を救うため自らボートを離れて波間に沈んだ男がいたというが、大部分の人はボートを奪い合って生き延びようとした。飽くなき生存欲、これがわれわれ人間の本性なのだ。

 ともあれ、四十七士や快川紹喜、タイタニック号などは稀にみる事件で、日常生活の中で私たちの周りに起こるのは、不治の病になり死期を宣告される場合などである。最近、私の妹と弟が相次いでガンで亡くなった。死期を告げられた妹の枕許で私が、「ガンになったおん恩こうじ高寺の住職の奥さんが、みほとけ御仏に生命を預けて無心に生きたところガンが治った」という話をすると、妹は「それは難しいことだけれど、私もなるべく心掛けてみます」としおらしく言い、私は心の中で泣いた。主治医から「手遅れで手術はできません」と宣告されて、診察室から出てきた弟は待合室で泣き出し、私は何と言ってなぐさめたらいいか言葉に詰まった。

 牧師はホスピスで、「キリストのしょくざい贖罪により、キリスト教徒の魂が天国へ行ける」ことを説き、信者の心を和らげるという。仏教でも浄土宗、浄土真宗は「南無阿弥陀佛と念ずれば誰でも極楽往生できる」と説く。戦国時代に一向一揆が強かったのは、それを信じた仏教徒が命を惜しまず戦ったからだといわれる。昔はそれほど仏教が民衆の生活の中に溶け込み生きていたのに、当今は僧侶がホスピスで極楽往生を説いて患者の心を安らかにさせる話なぞ殆ど聞かない。それは仏教界がしゅじょう衆生さいど済度に挺身するのをやめて、葬式という儀式を行う組織に堕落したからであろうか。それとも文明が進み、経済的に豊かになったため、もはや仏教は日本人の現実生活に適さなくなったのであろうか。

 なお別の問題だが、自分の死については諦めても、残した家族の生活が心配だという場合もある。このような精神的苦痛はどう処理したらいいのだろうか。

④ 肉体的苦痛を避けたい。

交通事故、地震、火災、風水害など不時の災害によって受ける肉体的苦痛は防ぎようがない。ふた昔ほど前までは、ガンで死ぬときは大変苦しいものとされていた。しかし、病気による肉体的苦痛は医学の進歩により相当改善された。アメリカでは痛み止めの麻薬の使用が積極的に研究され、日本の約十倍の量が使用されているという。アメリカがそうなれば近いうちに日本の医療もその水準に近づくであろう。肉体的苦痛緩和の問題は五感で確認できるものであるから、今後も更に進歩してゆくに相違ない。従ってこの問題の解決はそれほどむつかしいことではないと思う。

 事故死や病死でなく、老衰で死ぬときは肉体的苦痛がないのではないかと私は想像している。私の体験からすると、体が疲れているときは歩くよりも止まっていることを望み、止まって立っているよりも横になること、更にものを言わず静かに眠りに入ることを望むようになる。そしして眠るように逝く。自然死とはそれだと思う。私の娘のしゅうとめ姑は三年前に九十五歳で亡くなられたが、それはうらやましくなるほど見事な最期であった。新築した自宅に初めて入って仏壇の前に進み、「お陰様で、新しい家ができました」と先祖や夫の霊に感謝の祈りを捧げているうちに急に意識がなくなった。救急車で市民病院へ運ばれたが、意識を回復することなく五日後に天寿を全うされた。入院するまで健康で過ごし、家族に看病の手数を煩わすことなく、また死の不安とか苦痛など一切感ずることなく安らかにこの世を去る。私もこのような死に方をしたいと願っている。

 自然死の場合は肉体的には勿論のこと、精神的にも苦痛がないのではなかろうか。健康な人が疲れて休むときは、この世の苦労も何もかも忘れて自然に眠りに入る。と同様に、忘我の状態で眠るようにあの世へ旅立つのではないだろうか。健康であれば死ぬとき苦痛はなく、病気になっても医学の進歩で苦痛が緩和されるとすれば、死の肉体的苦痛を避けることはそれほどむつかしい問題ではないと思う。


 人間が長生きしたい理由を思いつくまま四つに分けて述べてみたが、私は更にこのように考える。

 人間の欲望はきりがない。もっと楽しいことはないかと追い求め、世界中の珍しい所へ行きたがる。金はいくらかかってもいいから、宇宙旅行をしたいというアメリカ人がいると聞いた。しかし楽しさには自ら限度があり、人間は変化を求める。龍宮城へ行った浦島太郎は毎日のように珍味を食べ、鯛やひらめの舞い踊りを楽しみ、絶世の美人の乙姫様にかしずかれても、結局は飽いて故郷へ帰りたくなった。神が人間に与えた最も大きな変化が死である。すべての生物が子孫を残して個体は死ぬというシステムを定めたのは神の英知であり素晴らしいことだと思う。マラソン競走も四二・一九五キロという終点があるからこそ人は走る。ゴールがなければ走ろうとしないに違いない。人生のゴールである死を、もつと積極的な意味で率直に受け入れた方がいいのではないだろうか。とは言っても、正直なところ大概の人は、歳を重ねていつか死ぬことは分っていても、『今』死にたくないのだ。

 誰も死を経験した人はなく未知の問題であるがために、死の恐怖に対して漠然とした不安はあっても、つかみ所がないので突き詰めて考えようとしない。それに現代人は忙しく、特に若い人は元気だから死について考えることは殆どないだろう。年配の人も死については病気勝ちの人が考えることで、健康でいるうちは無関心でいられる。
 また、死に直面した時、精神的苦痛をなくすのは困難であるが、できるだけの防止策は講じるべきだろう。ただし、それが不可能な場合がある。島田事件(久子ちゃん殺し)の赤堀さんのように、えんざい冤罪で死刑の宣告をうけることがあり、私のように輸血の中にC型肝炎のウィルスが入っていて感染する場合もある。タイタニック号の大方の乗客は沈没を避けようがなかった。しかし、酒や煙草をのみ過ぎてガンになることなどは自制心によって避けられる。つまり、防止策のとれない死に直面するのは運という他ない。その時には、自分に定められた運命と思って生を諦め、魂の救済に安心を求める以外に方法はない。この場合、それは心の持ち方の問題であるから宗教が大きな役割を果たすと思う。その点、キリスト教徒や仏教徒には救いがある。けれども、多くの日本人は無宗教で、中には「人は死ぬと全てが終わりで、肉体だけでなく魂も残らない」という人もあり、人びとの死生観は多種多様、千差万別であるから、死の精神的苦痛の解決策は各人で考えるしかない。

 私は無宗教なので、天国や極楽のことには考えが及ばない。死生観については、随筆集しぐれ五号と六号の中に次のように記述した。

 約百五十億年前、ビッグバン(宇宙の大爆発)によって地球が生まれ、その後、地球に生物が発生し、百五十万年前に人間の祖先が生じた。人間はもともと宇宙即ち虚空から来た旅人であり、死ぬということは魂が生まれ故郷の虚空へ帰ることである。人間は死ぬと肉体は無くなるが、魂は生きている。この世の中に、その人のことを思ってくれる人が一人でも生きているうちは、その人の霊魂はこの世に留まっている。そして、思ってくれる人が居なくなると、懐かしい生まれ故郷の宇宙へ帰る。

 一月二十一日付朝日新聞の天声人語欄に「アフリカ先住民のある部族には、死者を二通りに分ける風習があるという。人が死んでも、その生前を知る人が生きているうちは、死んだことにはならない。生者が心の中に呼び起こすことができるからだ。記憶する人も死に絶えてしまったとき、死者は真に死者になるのだという」とあった。世の中には、私と同じ考えをする人たちがいるのだ、と心強く思った。

 人は自分の魂がなるべく長くこの世に留まっていたいと願うから、現世の人に自分を思い出してもらうよすが縁(手がかり)となるように墓をつくる。金持は銅像を作ったり記念碑を建てたりもする。また、絵の好きな人は絵を残して、縁とする。私は随筆集を残す。今年は年末に「しぐれ7号」を上梓する予定である。

 私には三歳上の兄がいる。彼は庭いじりが好きで自宅の庭木や盆栽の手入れに余念がなかった。そうした健康的な生活のためか今まで元気に過ごしてきたが、昨年の初秋、血圧が少し高いと言い、そして暮れに脳梗塞で入院した。私も昨年十一月の終わりごろ、体に不調を感じ、市役所の血圧計で測ったところ最高血圧が二〇〇を超えていた。体調を整えて十日後に測ると一四〇に下がったので安心し、改めて健康第一の生活にしようと固く決意した。しかし、後が悪かった。根が酒好きな性分なので、忘年会を三つこなし、C型肝炎を気にしながらも酒を飲み、またもや二〇〇を超えた。人間の決意が行動と結びつくとは必ずしも決まっていない、とつくづく思った。
 

 これから私の心掛けるべきことは、平凡なことだが、とにかく持病と上手に付き合うことだ。健康に気をつけて自然死すれば娘婿の母親のような安らかな死に方ができると思う。また、精神的な苦しみがあったとしても最小限で済む。毎日自分のしたいことを気ままにやって、死ぬことなど忘れていることが一番だと思いながら、一日一日を過ごせればこれ以上の果報はない。                        

 私の居間には、「てんじゅ天寿のいき之域」と書いたおきろつぽうしょ沖六鵬書のへんがく扁額が掲げてある。天寿の域とは、「自分の寿命はすっかり天帝に預け、心から悠々自適の生活を楽しむ心境に達すること」の意ではないかと思う。

(平成十九年一月)

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