2008年6月22日日曜日

万葉の歌碑

 昭和四十五(一九七〇)年ごろ、内藤き亀ぶん文先生のきもい肝煎りで「大井川民俗の会」がつくられた。大井川流域をはじめ県内外の民俗行事、習慣などや歴史、文学等について、内藤先生から教えを受けながら現地を探訪する会である。私は郷土の歴史や民俗に強い関心をもっているので積極的に参加した。

マイクロバスで静岡県西部の浜名湖から豊橋あたりまで行くことがよくあったが、浜名湖畔にある二つの万葉の歌碑が深く印象に残っている。 一つは、浜松市細江町の浜名湖の入江にある「みおつくしの碑」である。訪れた昭和五十年ごろ、西気賀の湖畔沿い道路の南側に三百平方メートル程の空地があって、歌碑はその南寄りにあった。

遠江 引佐細江の澪標 吾を頼めて あさましものを
(万葉集巻十四。三四二九 遠江国の歌)

内藤先生のご説明によると、 ――みおつくしとは、通航する船に通りやすい深い水脈を知らせるために立てられた杭で、ここを通れば安全という水路標識。歌は『浜名湖の引佐細江の水路標識のように、私をあてにさせておいて、あなたは心変わりをした。いっそのこと私を放って置いてくれればよかったのに』という意味とのこと。しかし、これは女の立場から見た解釈で、別に男の立場から見た『私を頼りにしなさいと言ったのに、あなたは私をあなど侮って頼らなかったので、そうなったのですよ』という解釈もあるという。

 後日私なりに調べてみると、「あさましものを」の解釈には諸説あるらしい。しかし、なぜ解釈が分かれるような歌を作ったのであろうか。おそらく、心のはたらきは微妙で、男心と女心のどちらが先に秋風が吹き始めたか決め兼ねるので、作者は意識的にどちらにもとれるように表現したのではないかと思われる。

 もう一つは、三ケ日町奥浜名湖駅の西方の小高い丘の上にある作者不明の歌碑である。たまたまその近くに行った折に、内藤先生から「ここには万葉博士といわれたいぬかいたかし犬養孝・大阪大学教授の筆になる歌碑がある」との話があり、歌詞も説明してくださった。

  花散らふ この向つ嶺の乎那の嶺の洲につくまで 君が齢もがも
             (万葉集巻十四。三四四八 遠江国の歌)

『花が散るこの向かいの乎那の峰が風化して低くなり、海の洲に漬かるほどになるまで長く、ずっとあなたは生き長らえて欲しい』

 この歌のいかにも率直な表現が私は好きである。内藤先生もいい歌だと言っておられた。それに、この丘には万葉集の歌の中に出てくる植物を集めた植物園があるとの由。植物は内藤先生の最も得意とする専門分野であるから、それぞれの万葉の植物にまつわる歌の意味をじっくりお聞きしたいと私は思っていたし、また先生にもそのお気持ちがあったと思われる。花が散る乎那の峰というからには、万葉の時代にはこの丘に山桜が沢山あって花の名所だったのかもしれないと私は想像し、いつの日か内藤先生と一緒にこの丘を訪れたいものだと願っているうちに先生は亡くなられてしまった。

マイクロバスを利用すれば一時間足らずでゆっくり散策でき、頂上からの眺めもよさそうなのに、何故あの折、先生はこの丘に登ろうとしなかったのだろう、というわだかまりが私の心の中にずっと残っていた。

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